栗瀬裕太 / yuta kurise
BMX(レース、ダートジャンプ) / MTB (ダウンヒル、4クロス、ダートジャンプ)。
95年、当時では異例の13歳という若さでMTBメーカーとのスポンサー契約を果たし、プロの世界へ。国内ではただ一人、レースとダートジャンプ競技においてBMX、MTB両方のトップカテゴリーに属する。20歳で4X初代全日本チャンピオンを獲得、同種目で4年連続世界選手権出場。2006年から2011年まで「MTBの聖地」とも言われる日本最大級のMTBフィールド、富士見パノラマスキー場にてフィールドアドバイザーとして6年間常駐。世界を転戦して得られた経験を生かし、4Xコースとダートジャンプセクションの設計から造成をプロデュース。また各ジャンルのイベントやスクールなどを多数企画、開催。2012年からは富士見パノラマを離れ、ライダー業の傍ら、山梨県北杜市に土地を借り、BMXレースの国内唯一の「オリンピックレベルのトレーニング施設」と「ダートジャンプ競技の世界のトップレベルに対応するためのトレーニング施設」といった、2種目での「国内のトッププロ育成」を目的とした施設「YBP」の造成をスタート。現在、BMX、MTBのレース活動を中心に「YBPの」完成・オープンに向けて力を注ぐ毎日。
スポンサーはMongoose、Tiora、Magura、Odessey、Troy Lee Design、Seedles、Puma、富士見パノラマスキー場。
山梨県北杜市の山の中に、世界規模のダートコースと高さ8mあるオリンピックレベルのスタートヒル建設という壮大な目標を達成しようとしている男がいる。彼の名は栗瀬裕太。そしてそのコースの名は「YBP」。国内のBMX、MTBライダー達が海外で通用するために絶対必要とされてきた、この世界大会レベルのコースは、国でも企業でもなく、たった一人の男の先導によって実現されようとしている。
BMX、MTBを始めたきっかけを教えてください。
父親の影響が大きくて、僕が生まれるまで親父がポケバイのレーシングチームを作ってカートランドを回ったり若い子をバンに押し込んでポケバイを2、3台乗っけてレース会場を回っていて、母親もそれに一緒に行ったりしてて、夫婦でスケートボードをやりにコンクリートパークに行ったり、ラジコンのエンジンカーのチームを作ったりと、4輪2輪のモータースポーツやアクションスポーツが大好きな両親なんです。アマチュアですけどドラマーで、それこそ70年代のDeep PurpleとかLed Zeppelinといった時代の音楽やカルチャーの影響を受ける環境の中で僕は育ってきたから、何かこの人面白い事沢山知ってるなっていう、父親というより歳の離れたお兄ちゃんという感じでした。それで色々経験していく中で、BMXとMTBも父親が面白いってやり始めて、それまでも何も強要されたことは無かったけど、気がつくと色々な事の中でBMXとMTBが初めて自分の意志でやりたいって思えるものになっていたんです。
どういうところが面白かったんですか?
単純に格好良かった。ヘルメット被ってジャンプしてる姿に子供ながらに格好良く見えていました。そこには理屈とかは無くて、「すげー!格好いい!これやりたい!」っていう純粋な気持ちです。小1の時にMTBを始めてBMXが小2の時でした。出身が大阪なので、大阪のBMXコースとか山の中を走っていたんですが、まぁ全然芽が出なくて、ジャンプとかも同世代のライダーに比べて上達が断然遅くて、全然飛べないし下手だしずっと予選落ちでどっちかというと才能は無い方だと自分も親もそう思っていました。親には、「下手くそでもそれが好きで一生懸命やってるんやったらやればいい」と言われていました。ただ、せっかく週末を使って連れて来てもらってるのに、ライダー仲間と喋って遊んでばっかりしていると、「それはないわ、下手くそでもいいから乗れよ」って言われてました。今振り返ると確かにその通りだと思いますね。だからレースでどんだけビリでも親父は怒らないんです、ただ途中で諦めて座ってゴールしたら「それはないわ」って。その点母親は超スパルタで、毎日スプリントタイムを計るとか言ってグラフを作られちゃって(笑)。もうそれが嫌で嫌で、せっかく格好良いスポーツなのに巨人の星みたいなノリになっちゃって。でも実際それで伸びてチャンピオンをとる選手も居るから否定しちゃいけないんですけど僕はそれに納得がいかなくて。母親は「あんたが練習せえへんのやったら私が練習する」って意味の分からない事を言い出して、BMXはハードすぎるからってMTBのクロスカントリーっていう長距離の種目で年齢別のチャンピオンを狙うって言いだして(笑)。父親の背中じゃないけど母親の背中を僕に見せようと思ったらしくて、ジムに通ってトレーニングして昼は登坂トレーニングで山に登ってっていうのをしていて、2年後に本当にチャンピオン取りましたからね(笑)。なんでもそうなんですけど、僕がお腹の中でまだ3ヶ月位の時にポケバイのレース中にクラッシュして救急車で運ばれたりっていう結講無茶苦茶な母親なんです。そんな両親だから僕がこんな前例のない危なっかしい事をしていても今更やめろとは言えないんでしょうね(笑)。
この「YBP」というコースを作ろうというアイデアはいつ頃からあったんですか?
具体的にやりたいと思ったのは4年前くらいですね。オリンピックレベルのコースが日本には無いんですよ。僕も6年前の北京オリンピックの前哨戦みたいなものに行った事があるんですけど、1本コースを走ったらレベルが違いすぎて笑ってしまって。こんなんエンジン付いてないと無理ちゃう? みたいな。日本人は本番のコースで走った事が無いから、初めての8mのスタートヒルの上で皆ビビっていて、でも外人は慣れてるからバンバンコースに出て行って、これは日本にもこのコースが無いと話にならんと思ったんです。でも誰かが作るだろうとロンドンオリンピックの前までは思ってたんですけど、選考の2年前になっても1年前になっても全然出来なくて、あそこに出来るかも、ここに出来るかもって新聞には載るんですけど全部話が流れてしまってるんです。まとめられるようなフォーマットが日本の協会側に無いんですよ。各都道府県の協会もお父さんお母さん達が時間を作ってなんとかやってくれているっていうのがほとんどっていう現状で。でもそれじゃあプロでやっていく為のベースは確立されないしオリンピックに向けて必要なコースの建設っていう所まで話がまとまらないんです。ちょっと前までは、僕もライダーとしての立場だけで皆と一緒に文句ばっかり言ってたんですけど、いくら文句を言ったって変わらないだろうし、その人達にも限界があるだろうから、自分でやってみようと思ったんです。最初の1年間位は数人にしか話していなかったんですけど、仕事を辞めてオリンピックコースを個人で作るなんて、生活出来るかも分からないから、そんな事するなってみんなに止められましたね。
どの様に進めたんですか?
候補になる所をいろいろ回って今の場所を見つけて、山梨県北杜市に事情を話して相談したら格安で借りられる事になったんです。でも見つけた時には完全に木で覆われた森の状態で、まず木を切る所から始めました。だけど案の定地面は岩だらけだし、伐採しても切り株は100個以上残っているからそれを抜くのに自分1人でやってるから1日1個が限界なんです。小さい重機だから切り株に負けて放り出されそうになる事もあって物凄く大変でした。何年かかるんだっていう焦りも感じましたね。さらにダートコースを作るのには大量の土が必要だけど、土を買うにもあれだけの量を買うっていうと2〜300万円はかかるんです。その時点で既に資金が尽きていたので、役場に行って近場で残土が出る現場とかありませんか?って聞きまくったりして。土といっても何でも使える訳ではなくて、粘土質だと滑ってしまうのできちんと選ばなくてはいけなくて。そうして色々なところに聞いていたら、山を削って車幅を広くするっていう大規模な道路の拡張工事をする現場の業者さんが土を譲ってくれることになったんです。先方も土を保管するには置き場代が何十万とかかるらしくて、それが要らないなら助かるということで、ダンプやらを無料で手配してくれたんです。最初業者でもなく、立て看板も出してない様な奴が1人で開拓作業をしていたので、地域の人からしたらなんだあいつは? みたいに思われていたんだと思います。僕自身関西弁だしヨソ者だし、風当たりが強いのは覚悟していたんですけど、燃料を毎日入れてるガソリンスタンドのオーナーさんとか地元の地域新聞の方、地域のラジオ局の人達と徐々に仲良くなってきて、僕が嘘をついていないって分かってくれて段々と協力してくれる様になりました。新聞やラジオでも取り上げてくれるようになって、今では散歩をしている近所のおばちゃんが差し入れをくれたり、「新聞観たよ〜」「ラジオ聴いたよ~」って言ってくれたりして周りで応援してくれる人も増えてきました。
8mのスタートヒルはどうやって完成したんですか?
スタートヒルの建設はさすがに経験が無いし経費に関してもやっぱりネックになりました。PUMAの方がクラウドファウンディングっていう資金集めの方法があるよって教えてくれて。それでなんとか本当にギリギリのタイミングで集まったんです。そして念願のスタートヒルが完成した今年の8月にクラウドファウンディングでの出資者の方達に向けてイベントを開催しました。その時にオリンピック選手の阪本章史くん、三瓶将廣とかも来てくれて8mの坂を駆け下りて11m飛ぶっていうのを観てもらうというデモンストレーションをしました。BMXの最高峰であるエリートクラスでもあのコースを走れる奴って限られてるんですよ。日本のエリートクラスの中でも更に上の方のライダーじゃないと走れないんです。だって日本には今まで無かったわけですから。
この新しい環境で練習さえ出来れば、もっともっと上手くなるポテンシャルを持っている日本人ライダーがいるというのは感じていますか?
三瓶将廣というライダーが、まだ23歳なのに、若手のライダーを育成するという活動を始めたんです。走るのは天才だけどプロモーションは苦手なライダーとか、ちゃんとしたコースで練習させたら絶対もっと上に行くのが分かっているライダーとかいっぱい居るんです。それなら引っ張ってあげようっていう所をやろうとしているんです。という事は僕がその環境を作ってあげれば彼が窓口になって僕のコースでトレーニングさせて彼が海外に連れて行く。出来るじゃないかと。彼はライディングだけじゃなく遠征のやり方から鍛えるという事をやっています。例えば関東から来る子達には自力で輪行で来なさいと伝えるんです。「輪行の仕方が解りません!」と言ってきたら「自分で考えてきてください、お父さんお母さんも手助けしないでください」って。海外では言葉も通じない中でそれをやらなきゃいけないんです。ここは日本だからなんとかなりますって。実際に子供達も頑張って来るからメンタルがどんどん鍛えられて意識も上がってきています。そこまで考えている彼は頼もしいなと思うんですけど、僕からしたら、彼自身はその団体を運営しながらのトレーニングになるので、他のライダーに比べて練習量が100%ではないんです。だけど、その状況の中でもフルタイムで練習をしているライダーを抑えてシリーズチャンピオンを取っちゃうんですよ。だからもっと現役ライダーとしてやればいいのにと思うんですけど、本人はそれがやりたいと言っています。
今のコースを使って近い将来、展望というか企みはありますか?
雪が降ってしまうので1年を通しては厳しいんですが、まずはオリンピックを目指しているライダーが、海外に行く前にここで事前に練習をさせてあげられる場所としてちゃんとオープンさせる事です。来年の4月を目標に、社団法人化してフィールドオープンというのを、詳しい人に協力して頂きながら準備をしている段階です。このコースを活用してライダー達が世界戦レベルの練習を出来るようになれば結果は出てくると思います。そうやってライダー達のレベルを徐々に上げていくという目標と、X-GAMESやDew Tourなどに出ているレベルの海外ライダーを呼んでショーイベントもやりたいですね。僕が子供の時もそうだったんですけど、そういうイベントって大体フェンスの向こう側で盛り上がっているのを観客として観るだけで終わってしまうんです。観てると絶対乗りたくなるんですけど、そこには乗る環境が無い。だから海外ライダーなんかも交えて競い合うんじゃなくてライディングを楽しめる様なジャムセッションっていうのもやりたいです。あとは単純に格好良くて面白いから広めたい。ダートを極めるなら「YBPでしょ!」って言われるような場所にしたいです。今はまだ、僕がイメージしている“もの”が今までに日本にはないレベルの“もの”なので、それを言葉で理解してもらうのがなかなか難しいです。その人達の頭の中には当たり前だけどイメージが無いから、叩かれたり無理って言われるのは当然なんです。それを形にしていくにつれてそう言っていた人たちが理解してくれるようになってくれると嬉しいですね。ライダーと社会の中立的な立場でありつつ自分の軸はブレないようにっていうのが中々難しいですね。
最後に読者へメッセージを。
BMXでもMTBでも、どんなジャンルでもその中で突き詰めて活躍しているライダーっていうのは一般の人達にも絶対伝わる格好良さがあるから、この雑誌を読んで興味を持った人はイベント等に足を運んでもらって、可能であれば自分で購入して遊んでみて欲しいです。とにかく格好良くて楽しいので。それを知ってもらえれば今以上にシーンは盛り上がるんじゃないかなと思っています。
HIDDEN BMX No.1
November, 2013
Text: Hidenori Matsuoka, Photo: Hiroyuki Nakagawa